阿久根のことについて。市長のこと。A-Zのこと。

今はまったく遠いところで生活しているので、リンク先の内容については特に言い添えることもないし情報を加えることもできないのだけれど、いちおうまったく縁もゆかりもない土地というでもないし、親しい知り合いのなかには現地で事態の最前線に身を置いているひともいる。なので私自身書きづらいこともあるし書けないことも多い。完全に雑感として自分の立場でいま書けそうなことを書きつけておいても無駄ではないだろう、という程度のことである。

ヤフーの「みんなの政治」などに事の次第はだいたいまとめられている(と思う)ので参考にしていただければいいと思うのだが、鹿児島県阿久根市の一件どうも各種メディアからもたらされる情報が少ない。地元紙・M日本新聞が件の市長からゴミ扱いされていて、M日本新聞が猛烈に逆ギレ&ガチ勝負というウラ構図がかぶさって余計にややこしい。経済的にかなり追い詰められた一地方の市町村で市議会や市役所の関係者が「特権階級」として住民から反目の憂き目にあうという構図は、それ自体あまり珍しいものではないのだが。

以下、アエラより。リンク切れの可能性があるので完全引用。



不満の「風船」火がついた
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100809-01-0101.html

不満の「風船」火がついた
2010年8月9日 AERA
異常事態にあることは、間違いない。市長の振る舞いが批判をあびる
鹿児島県阿久根市のことだ。でも、熱く支持する市民多数。理由を探しに、街を訪ねた。
「最も辞めてもらいたい議員」のネット投票を呼びかけたり、市職員の給与明細を公開したり、市議会を開かなかったり。
 2年前の初当選以来、鹿児島県阿久根市竹原信一市長(51)は、強烈な言動や強引な政治手法で全国的な注目を集めてきた=77ページ。
 鹿児島県の伊藤祐一郎知事は、地方自治法にのっとり2度にわたって、議会が開かれない状態の是正を勧告したが、竹原氏はこれを無視。原口一博総務相も今年7月、「違法な状況が続くことは看過できない」と述べている。
 しかし、いまも彼を支持する市民は少なくない。その理由が知りたくて、阿久根市を訪ねた。



妙な浮遊感覚える街



 阿久根市は、鹿児島県北西部に位置する人口2万4千人の港町だ。
 市中心部の商店街は、昼間だというのにシャッターが下りたままの店が多い。バス停のベンチにはおばあさん2人が腰掛けているが、その他に人影はない。竹原氏が呼び寄せたとされる画家があちこちのシャッターに少女や犬、サーフィンなどの絵を描いていて、それらが統一感なく目に入ってくる。35度近い気温と海からの湿気もあってか、妙な浮遊感を覚える。
 商店で店主らに話を聞くと、多くは竹原氏に好意的だ。
「改革のためには命も惜しくないと言っている。肝が据わっていていい」
「知事や裁判所の言うことまで聞かないのは、大したもの」
 彼らがそろって口にしたのが、市職員の給与(09年度)やボーナスを減額したことに対する称賛だ。
「官民格差を縮めてくれた。ブルジョアは『反竹原』だが、我々底辺の人間は、市長は自分たちのためによくやってくれていると思っている」(84歳男性)
「市の職員はもらい過ぎ。それを減らすだけでなく、市長は自分の給料も減らした。そこがえらい」(81歳男性)
 かつて漁業基地として栄えた阿久根市は、近年、水揚げが大幅に減少。高齢化による後継者難もあって農林業も低迷している。市民の年収は、「200万円前後の人が大半。社長の自分も300万円台」(水産関連会社経営)という状況だ。
 街全体が疲弊する中、市職員の平均年収は600万円と飛びぬけている。街でよく耳にした「いい家に住んで、いい車に乗っているのは市職員」という言葉も、あながちうそではなさそうだ。阿久根市には、
「市職員ばかりがいい思いをしているという不満が、ガスのように充満していた」(市内の自営業者、57歳)



市民にすれば痛快


 この充満したガスに火をつけたのが、竹原氏だった。「官民格差の是正」を掲げて08年8月の市長選に当選。市職員の給与を公開すると、「やっぱりこんなに差があったのか」という市民の思いが燃え上がった。
 竹原氏が市職員と自身の給与のカットに乗り出すと、市民は拍手喝采。当初は竹原氏を支持していた牛之浜由美市議は振り返る。
「市民にすれば、痛快だったんです」
 出直し選挙で当選後は、保育料の半額補助やゴミ袋の半額化、固定資産税の引き下げなど、市民が効果を実感しやすい施策も次々と打ち出した。ただ、財源の裏づけがないという批判もある。
 竹原氏の選挙は、初当選のときも、再選されたときも、辛勝だった。
 4人が立候補した1回目の市長選は、竹原氏の5547票に対し、次点候補5040票とわずか507票差。再選された出直し選挙でも、竹原氏8449票に対し、相手候補は7887票。市民の半数近くが竹原氏に「ノー」を突き付けたとみることもできる。
 しかし、当の竹原氏にこの事実に対する謙虚さは見られない。



議会なんかどこも一緒


 今月4日、夜9時を回った市役所で、就任間もない仙波敏郎副市長に話を聞いていると、竹原氏が現れた。市長室で向き合うと、国会を含め議会なんか全国どこでも一緒、議員には「欲」しかないなどと説いた。自分は社会の仕組みをよくわかっているという風だった。
 では一体、市長はいつから世の中をお見通しなのか。そう尋ねると、こう返ってきた。
「小学3年のときに、大人は何もわかっていないなと突然感じました」
 竹原氏については解職を目指す動きが広がっている。今月中旬からリコール請求の署名集めを始める市民団体「阿久根市長リコール準備委員会」の川原慎一委員長(42)はこう話す。
「市長は自分の考えを押し通そうとするばかり。議員や公務員に対する批判は理解できるが、(改革のためには)面倒でも通っていかなくてはいけない道のりがあるはず。それを飛ばしてしまう人間は、リーダーとしてはダメだ」
 川原氏の言う「道のりを飛ばす」ことの象徴が、議会だ。例年6月に開かれてきた定例会を開かず、その後市議らが臨時議会の開催を求めているにもかかわらず、開いてこなかった。地方自治法は首長に議会の招集を義務づけているが、竹原氏は「議会は自分の妨害ばかりする」と招集を拒んできた。



竹原市長出現の素地


 この間、竹原氏は「独断」とも言える専決処分を連発。一般会計補正予算や、議会の同意が必要と法律で定められている副市長の任命など、その数は十数件に上っている。
 かつては竹原氏を支持していた市民団体「阿想会」の松岡徳博会長(56)は、こう言う。
「竹原氏は考えの異なる人に対する説明や説得の能力がない。議論をしたら負けるから議会を開かなかった」
 一方、竹原氏はこう言う。
「議会は議論の場ではない。市長は逆質問ができないなど、議論をしてはいけないことになっています」
 では議会は不要?
「議会って何ですか? 儀式なんです。あなたの質問は、儀式がいるのかと聞いているのと同じだ」
「リコール準備委員会」の川原委員長は言う。
「市長はリコールを阻止しようと、また市職員の給与カットを打ち出すなどして、市民の人気取りをしようとするかもしれない。市民の自覚が問われている」
「竹原人気」の背景にあるのは、経済苦に見舞われた地方都市と、そこに暮らす人々の閉塞感だ。竹原氏のような市長を生み出す素地は、どこの街にもある。
 竹原氏は今月5日、臨時議会の招集を決めたという。
編集部 田村栄治

「市役所の連中ばっかり」という「ガズが充満」しているという指摘はそれはそれであるのかもしれないが、ここでいう地方経済の疲弊というのが阿久根の場合半端じゃない。来るはずだった九州新幹線は駅には停まらず第一次産業の漁業は当然ジリ貧。周辺にたいした産業もなくとなりの市にあったNECの工場も閉鎖した。しかしそれ以上に彼の地域社会にインパクトを与えていると思われるのがA-Zである。
もはや阿久根といえばA-Zといわれるほど全国から注目され業界関係者の視察と取材が絶えない24時間営業の巨大ホームセンターの驚異的な破壊力は、「新しく郊外にできた幹線道路沿いのロードサイドビジネスが昔からの駅前商店街を寂れさせる」というどこにでもみられるような並の郊外化現象どころではすまなかった。
現にA-Zは市町村や県の境目など関係なしに半径10キロ圏内のロードサイドビジネスごとふっ飛ばし、近隣の(といっても結構遠いけど)大規模小売店舗は軒並み経営が傾いて再編がすすんだ。ここらへん50キロ圏内にジャスコはない。そもそも商圏がアホみたいに小さいのだ。そんな修羅場に既存の小商店が店を構える余地などなく、唯一小商店が生き残る道であるコンビニ経営さえも安定しない。ただでさえそんな過疎地に日本初のバケモノ商業施設ができてしまうとどうなるか。結果としてそれは地域と呼ぶにはあまりにも広範囲の商業や生活の仕組みを変えてしまうものだった。

まだA-Zがマキオというどこにでもあるホームセンターで、いまや小売業界の異端児とされる牧尾社長が、同じ場所でスクラップ&ビルドを繰り返す経営を安定させることにたいして興味がないちょっと変わった社長だったころ、かつて魔物が棲むと噂になった峠の途中、すでに寂れかけた阿久根市街からさらに奥まった車の通行さえまばらの暗くてうっそうとした場所に、365日24時間光り輝きつづける巨大で異様なホームセンターとそれをを中心にしたあらたな商業地域が、十年ほどの時間を経て、統一的な商業地域開発ではなく自由な参入によって形成されるなどということを予測できた人はおそらくいなかった。

巨大な小売店舗は往々にしてクルマを持たない高齢者に評判が悪く、不良の溜まり場になり、画一的な商品しか取り扱わないことが多く、それが小売店舗と地域社会とのあいだの軋轢の原因となることが多かった。しかしA-Zは細かく送迎用のバスを運行し、行き場のなかった不良や高校生をバイトとして大量に雇い入れ、(たとえば醤油などに代表されるように)気が狂ったとしか思えないほど多種多様な商品、そして地元の産物を揃えている。参考

これは牧尾社長という変わった個性をもった人物のなせるところ大ではあるものの、同時にちょっとしたきっかけを与えるだけで経済的にも社会的にも閉塞感に充ち溢れた地域にひとつの新たな流れを加えることができるということの証拠ともいえる。現にA-Zは地域の余剰労働力を余す所なく吸収しているし、地域社会に多大な影響を及ぼすあまりA-Zなしでは生活が成り立ちにくい(特に山間部)集落が出始めている。

しかし阿久根の街はずれで起きた爆発的な変化は、とりわけ市の中心に住む指導者層にはあまりにも急激すぎたし、実際のところその光景は旧来の商店街的な文化とくらべて殺伐としすぎていた。仕事のない若者と病気がちの高齢者と市役所や農協漁協の職員しかいない街のはずれに突如現れたバケモノのような場所で買い物をするしかないという状況は、一定の商業的な活況をもたらすものではあっても、彼/女たちにとってそれ自体あまり希望に充ち溢れた未来を感じさせるものではない。そして変化を望まないひとというのは往々にして変わったパーソナリティの持ち主を毛嫌いしがちだ。

「社会変化」や「民意」と言われるものはとかく無情にしてお構いなしだ。そしてそれを許せるかどうかもひとそれぞれである。ともいえる。ともあれA-Zなしで地域が回らなくなっているという隠れた事実を受け入れるか否かということが、この地域に暮らす人々の政治的傾向とリンクする可能性がとても高いような気がする。むろんいずれにせよそこに単純かつ希望にあふれた未来はないのだが。しかし、なんとかして生きるために社会の変容に対して敏感に反応せざるをえない層とそうでない層があるというどこにでもありそうな珍しくもない事実は、この自衛隊あがりの一風変わった市長の人気を考える上で無視できないことのように思われる。