千秋である。

もちろんココリコ遠藤のカミさんにして「永遠のキュート」にしてノンタンの声の主のことではない。石原千秋先生その人である。世田谷の某大学で授業を受けていたし自分の論文(みたいなもの。いまや存在さえ否定している青春の汚点)に対して、冷ややかな、相手を刺すような笑いとともに「針の穴に大木を通そうとしている。ダメ」というきわめて的確な指摘をいただいたりもしていたのだが、わたしは結局「知性」溢れるトークのうらにある権威主義と過度な神経質さが鼻につくという印象しかもてなかった(自分のことは棚にあげております、ハイ)。それでも「知性」そのものはズバ抜けていたし授業の内容も興味深かったんで一生懸命出席してノートもとっていたが、テストでは100点満点中30点というさんざんな結果に→ウツ。よーするに「テクストはまちがわない」テクスト原理主義者であらせられる先生と(低俗な意味での)フーコー的歴史主義者であった私とは、ソリがあわんかったんですな、たぶん。そういうことにしとこう。
「ウィトゲンシュタイン」と「言語論的転回」のはなしってわたしが受けてた昔の講義のでもしとったな。前期と後期がいっしょくたになったウィトゲンシュタイン論だったので、


「隣の教室で黒崎宏先生が講義してらっしゃるからその趣味の悪いケミカルウォッシュを脱いで拝聴してこい!」


なーんてよからぬツッコミをぐだぐだと思い至っておったような。まぁ不勉強な学生相手では千秋も気が滅入るだろう。千秋の名前を聞くとどうしても「こんなインテリ野郎には負けねぇズラ!」という反目が先に立って元気が出る。まぁ性格的にも合わないんだろうし。そんなこんなで文学研究者でもなんでもないのに千秋の本はほとんど読んでしまっている。こういうのを「影響を受けたひと」って云うんでしょうな。けっして師匠とか恩師とかではなく。千秋にとっての「影響を受けたひと」って誰だろか。柄谷行人かな。