googleか筆か

お盆に向けて処々準備中。とくに檀家さん宅を一軒一軒お経をあげて回る『棚経』があるので、家々の場所を確認なり覚えるなりしていく。

京都に来て今年がはじめての棚経なので、200軒以上を新規でメモリーしなければならない。

新規メモリーの王道としてはゼンリン地図を買ってしらみつぶしにやっつけるというものがある。資金に余裕のある場合はその地域にやたら詳しいタクシーの運ちゃんを数日丸々雇って乗り回すというものもある。しかしゼンリンは一冊二万以上するし(当然一冊ではカバーできない)、タクシーも高い。そんなにうちはバブリーではない。

そこで今回はgoogle mapに全檀家を登録し、それをプリントアウトして使うことにした。しかし旧市街はgoogle mapに住所を打ち込んでも「そんなところはないっす」表示になるのでどうしようもない。

というわけで、檀家さんの家の場所と家族構成を頭にインプットしているうちの和尚さんにお願いして、車で一軒一軒回ってみたりする。しかし、地図をにらめっこしながら車に乗っていたらモーレツに気分が悪くなったりしてなかなかうまくいかない。久しぶりにゲロった。



ちなみに、檀家さんを全部インプットしている和尚に驚くひともいるかもしれませんが、30年くらい和尚さんやってるとそのくらいになります。普通の営業さんでも数百件のクライアントを記憶してるひとはある。しかし営業さんならクライアントを帳簿に記録したり営業日誌をつけたりして、他の営業さんが担当になっても(ある程度)対応できるようにしてあるものです。

しかし普通のお寺の場合、和尚さんは基本全部一人でやってるのでデータの蓄積や記録がなされている場合はほとんどない。覚えてしまったらそれで事足りるし。というわけで、わたしみたいな新規参入者の参考になるようなデータはほとんどの場合ないのである。危機管理能力ゼロといわれてしまえばそのとおりであるが、お寺というのはそのような古きよき、のんびりとしたもんであり、またそののんびりしたかんじが良いところでもある。まぁ結果として間違いも多いのだがww

というよりも、記録しようもないし他の人に伝達できないような、顔と顔を合わせたコミュニケーションを大事にしてないと、この商売はやってられないところがある。記録するとその記録に縛られてしまって目の前のコミュニケーションがおざなりになったりする。記録がないのは記録がないなりの理由があるのだ。

考えてみれば、記憶と経験が豊富な、すべてを筆と和紙の帳面だけの簡単な事務処理ですましていて、檀家さんの名前を言っただけでその家のことが(ヘタしたら当の家人も知らない昔のことが)スラスラ出てくるような老和尚のほうが、パソコンとにらめっこしているやけに寺院経営に詳しい、まるで会社員みたいな和尚さんより、なんとなく信頼できるところがあるんだ。不思議なことに。坊主というのは一筋縄ではいかんなとつくづく思うんだけど。


といいつつ、私はいまんとこ完全にパソコンだよりですよ。できたら地図なしで、まるで檀家さんちに遊びに行くようなかんじでお参りに行きたいと思っているのだが(たぶんそうなったらハードな棚経廻りも楽しい)、実際にそういうことができなくても、感覚としてそういう部分を持っていたいんです。

ま、時勢というものもあるのでむずかしいんだけど。

ま、ドコモのgoogleケータイ片手に檀家さんち廻ったりするのも、それはそれでカッコいいかもと思ってたりするんだけど。