トイレの神様についてまとめておく

inuimon2011-01-23

トイレの神様」の植村花菜はギター片手の関西出身歌手というだけで、嘉門達夫の系譜上にあるのではないかと勝手に空想していたのだが、嘉門達夫の下世話さかげんを受け継いでいるという意味において、この空想もあながち間違っていないとも思っている。最近。

トイレの神様」という歌は、どうも世間ではおばあちゃんの思い出を感動のうちに語る流行歌みたいなことになっているが、宗教業界の下世話担当であるワタクシは「トイレの神様」といわれれば厠神(かわやがみ)でもあり烏蒭沙摩明王(うすさまみんのう)という連想に行き着いてしまう。烏蒭沙摩明王ってのはお寺の便所に祀られてるホトケさまです。烏蒭沙摩明王 wiki

烏蒭沙摩明王男児変成法(お腹のなかの胎児を男の子にしてしまう法)を司るある意味ギリでアウトな明王さまでもあり、厠神は厠神とて境界神として祖先信仰と結びついた柳田國男氏神さま世界のなかでド裏担当とされており、つまりは「便所の神様」ってそんなに純朴で正面きって神サマ仏サマと敬える神様じゃないんだよねー実際。なんというか、あの薄暗くて臭くて汚い昔の便所の雰囲気をまとう神様だからね。まさに神仏の裏街道。しかも厠神は妊娠や出産、もっとあけすけな地方だと性的な事柄と関係している場合が多い。陰気くさくて汚くてしかもエロ。まさにアウトサイダー
そういう「境界の神様」は決まりごとやタブーや言い伝えがやたらと多いので、その残存は現代社会でもかんたんに見出すことができる。


金沢にも「トイレの神様」 人形埋める風習がネットで反響
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2011012102000196.html


たまたま昨日の新聞記事だが、夫婦一対の土人形は性的な関係や生殖、それに対して人形を埋めるというのは土葬=死のアナロジーともいえるのでしょ。かつて後産を便所の近くに埋めるという習俗があったところもありましたな。「トイレの神様」は生と死、性といった独特なエネルギーを司る神様というわけで、烏蒭沙摩明王男児変成法もそういう生命をあつかうという文脈で生まれた信仰なんだろうなーと。



トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで


トイレの神様 歌詞
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND88524/index.html



この歌詞も、そんな「トイレの神様」の古めかしい意味に気づくと、そりゃそりゃべっぴんさんになってセクシーなオンナになるんでっしゃろなーといかがわしい妄想になってしかたない。と同時に「おばあちゃん」はそういう古めかしい文化圏のかなり最後のほうの継承者であったのかもしれないという連想に至る。関西だし。

おばあちゃんがいた文化圏は少なくとも感動と慈愛に満ちあふれるこの歌の世界観「だけ」じゃない、もっと下世話でいかがわしいエネルギーを含んでいたのかもしれないけど、けどまぁ、おばあちゃんはもう死んじゃったんだし、厠神的な古い世界観は女性蔑視という問題をどうしてもはらんでいるし、こうやって毒っけを抜かれたかんじなのがちょうどいいのかもしれない。んで、その底流にドロッとしたエネルギーの塊が流れてるのを垣間見てワタクシはひとりでほくそ笑ませていただきます。ありがとうございます。

ちなみに、烏蒭沙摩明王の図像は最近「トイレの神様」として大変人気のお守りでございます。

あと笙野頼子が昨年「小説神変理層夢経・序 便所神受難品その前篇 猫トイレット荒神」という小説で飯島先生の本を引用しながら厠神を取り上げているそうです。

あと当の飯島先生はここ十数年ほとんど境界神研究はしていないですが、これを機に復活してみてはいかがでしょうか。
[rakuten:rcmd:19977788:detail]

竈神と厠神 異界と此の世の境 (講談社学術文庫)

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文藝 2010年 08月号 特集:江國香織 [雑誌]

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