忠臣蔵はテロです、が…… 2

しかし、物語はこの矛盾と虚しさを明確に描くことができません。それはただ予感されるだけです。これは物語に宿命づけられた不可能性ですが、そのような虚無(と名指しされるなにものか)が物語にとりこまれる、そのぎりぎりのところでの格闘が、『四十七人の刺客』がはらむ一種の美しさに結びついているのではないでしょうか。
いうまでもなく、ここで重要なのは『四十七人の刺客』を称賛し、物語を消費するのではなく、そこにうめこまれた美的イデオロギー装置を暴くことです。そこにある誘惑に打ち勝たなくてはならない。

結論を書こうと思いましたが、時間切れです。

おっ、ワールドユース、逆転勝ちしてる。すげ〜。