大塚英志『「おたく」の精神史」(講談社現代新書)

id:solarさんとこ周辺での議論が下火になったころに、遅ればせながらバババーッと読了。大塚氏の自伝的要素強し。もともとは民俗学の文脈からこの人の文章を読むようになった私。とくに民俗学史には興味があるので、大塚氏が八十年代前半の筑波で経験した出来事の記述は(私語り云々の批判はまぁおいとくとして)興味深く読む。そうかー、同期は斎藤純さんだったんだー。筑波民俗学で最初に「都市伝説」って言い出したのは自分だ!という言いぶりは(元民俗学業界の住人としては)検討されなければならないと思うし、「都市民俗」の存立を「柳田とテクストとの関係」から定位するのもちょっと強引かもしれない。でも「都市民俗」という言説が資本や社会に流通していくその最前線で、ほとんどひとりで奮闘していたという事実、しかもそれが『消えるヒッチハイカー』グループとのつばぜりあいのなかでおこなわれていた様子がよくわかる。再確認。
こう言うとまるで大塚氏ひとりが戦っていたように感じられてしまうかもしれませんが、「都市民俗」的なるものと格闘しとった人はたくさんいたわけで、それをすっとばして自分の戦果にしちゃう大塚氏の言いぶりはやっぱムカつく。
いずれにせよこの時期すでに「現代民俗学」の萌芽はあったというわけだ。そしてそれが八十年代という時代性と深く結びついていたということ。これも再確認。これを大月さんの『民俗学という不幸』とともに読み返してる人がいるらしい。素晴らしい。
でも、『民俗学という不幸』もそうだけど、こういう結果論っぽく語る姿勢じたいに八十年代的なるものにさんざん影響され裏切られた私は、イライラする。なんでイライラするかは自分でもうまく言葉にできないが、すっきりしない部分が多い。