山口晃の画集が東大出版会から出ましたが

「本のメルマガ」最新号では、山口晃という「現代絵画」作家の作品集東大出版会という学術出版の本丸から刊行されたことの意味云々が論じられておりましたが、ちょうど私はいまM越N本橋でアルバイトしていて、先日の山口晃の講演会も仕事しながらみてました。山口さんキンチョーのご様子でした。
山口晃の作品はまぁだいたい知っているし、ああいうセンスにはとってもシンパシーを感じるというか、ちょうど小学五年生ぐらいのときに長篠や保元から多大なる芸術的インスピレーションを受けていたわたしは、ヒマがあれば大きなカレンダーのうらに絵巻モノを書きなぐっておったりした歴史オタク少年(ロマン派)で、夜な夜な意味不明なモノを描いている息子の様子は母親をいたく心配させたものでしたが、それはさておいても、二次元上に三次元的かつ通時的なモノ語り世界を展開するための絵画的手法として絵巻モノは非常に優れているというか日本美術史をちょこっとかじった方ならおわかりとはおもいますが、とんでもなく奥深いわけで、山口さんの作品の時間感覚をおちょくったような諧謔的な(まーそれが「現代的」なのかどうかは判りませんが)スタイルってのも、絵巻モノのそういう特徴を知っていればすごく腑に落ちるというかけっこう伝統的なもんにも見えてきたりするわけです。でもまぁ作品として好きなのでいいんですけど。好きなんですからいいんです。

ほいで、それが東大出版会からプラ函としおりルーペ付きで刊行されたことは、編集者が『知の技法』の仕掛け人ということを聞いてなんとなく納得してしまったところもあって、編集会議とか営業会議とか通すの大変だったんだろうなぁ(昔を思い出してちょい鬱)とも思いましたが、むしろ私はデザインが タウハウスってところに目が行ってしまって、あぁこういうお仕事もされるんですね、気合い入ってますよねぇなんて考えてもみたりしつつ、三越(あ、イニシャルにすんの忘れた)新館の五階にある八重洲BCでの棚の作り方っつーか『山口晃作品集』が全然フィーチャーされていないことに半ばフンマンやるかたなしって感じで、ちょっと横道に逸れているのを自覚しつつ続ければ、新しい丸善にしろ三越のなかの八重洲にしろ、書店が上質のラグジュアリーを売り物にする消費装置(というかハコ)と共存したりするのって、じつは結構難しいのかも。書店というのは他の小売と比べてもとんでもなく大量かつ雑多な商品を扱うので店頭ディスプレイとかがどうしても情報過多になってしまっているかんじがする。よーするにDiorのよこにドンキがある違和感というか。書店はそこらへんもうちょっとレコード・ショップとかを見習う必要があるのでは、って書店にイス置けばいいってもんでもないんですけど。