カゴシマは過去最大の豪雨

 先日は局地的な豪雨となり、外にも出ずひねもす家の中でスーダラする。
 一時的とはいえまさか25にもなって実家でスーダラな日々を得るとは心外だ。
 まぁこれをよしとするかどうかは人それぞれ。
個人的にはこの状況を決して心よいとは思ってないものの、このような状況を日常として過ごすことには世の人びとよりも一日の長がある。25にして。


あの人もあの人も今頃一生懸命働いているんだろうなぁ。


 と考えていると精神衛生上よろしくないので、掃除や読書をし、手紙を書いてみたりする。しかしながら数々の偉人伝を紐解いてみると、25でプラプラしているのことなど屁とも思っていない偉人は多い。いやむしろガシガシ親のすねをかじっている輩がおおい。とりあえずその事実を勘案しておけばよい。
 
 さて、これまた個人的な理由によりそろそろこのはてなは休止状態に突入する。そこでここ一年余のはてなライフを総括すべく、いくつかの過去ログを再録しつつ、練り返してみようと思っている。予告。


 
安野モヨコ『監督不行届』
山本夏彦『編集兼発行人』
山田昌弘希望格差社会

とかを読む。


『監督〜』はよくできてる。カントクくんの日産のCMにはちょっと驚く。




 山田さんのは主流でオーソドックスな、もうなんか社会学の優等生みないな本。ということなのだから当然のごとくつまらない。ここから何の話ができるかということであろう。

 などと常識人の態度をとっているのは山本さんの初期コラムである『編集〜』をいま読了したばかりだから。常識人が書いたものを読むのは非常にためになるし、他人にも勧めるくらいなのだが、常識人が私の生活のなかに闖入してこようものなら(現状私の周りに常識人は見当たらない)、わたしはヒステリックになってしまうだろう。
 実際、若者からすれば常識的なおっさんやおばさんほどウザい存在はない一方で(山本さんも実際には部下にとってはかなりウザい上司だったらしい)、ああならなければいけないのだろう、ああいうのが社会人と呼ばれるのだろうとも思う。常識人に対する羨望と違和感と嫉妬みたいなものが入り混じった感情が己のなかにあることは否定しないものの、それが隣でガミガミ言っているのとはまるで話が違う。

 だからこれから私が常識人になっていく過程においては、いろいろなことに十分注意しておく必要があろうかと思う。失うものもさぞかし多かろう。それでも常識人たるべきかどうか、悩ましいところだ。

 いかん暗い話になった。