「なぜ宗教を語るブログが少ないか」

ここここで「なぜ宗教を語るブログが少ないか」みたいなことが話題になっていたので。

いわゆる宗教史とか仏教史に関する正誤について私が物言う意志も能力もないのは言わずもがな。むしろ当該ブログで示唆?されているように、wikiをいいかんじで書き換えていきましょうということでよろしいのではないかと思います。実際私が知りうる領域というか宗教史的「事実」の記述において、wikiは比較的ちゃんと書いてあるようです。そして純粋に、wikiをもっとちゃんと書いていきましょう、論争になったらwikiのルールにおいてみんなで話し合いましょうというのが、「ネット上で宗教を語る」ということをやろうとすれば、現段階でもっとも合理的というかそれしかないんじゃないかという気もする。気がする。

宗教史全体についての云々となればたぶんめちゃくちゃ揉めるわけです。上座部vs大乗、西vs東、あるいは単純に右vs左とか進化論肯定vs否定みたいな構図が前面に出てくるものと思われます。チベットがらみとか。
ただこれらの対立はとっても「わかりやすい」という点において、社会に訴えかける“エントリ”でもあります。んで、いろんな立場や考えの人がいろんな意見を書くということでよろしいと思う。というかネット上では宗教的多元主義が担保されなければなりません。ある意味当然ですが。

むしろ問題は、いろんな意見(エントリ)が多すぎるしそれらのだいたいがかなりテキトーというか個人的すぐる→んでそういうテキトーなエントリにかぎって意外と流布しちゃってるという、ブログ社会特有の事象にあるのでしょう。しかし、それ以前に、単純に、「宗教を語るブログが少ない」という問題を我々はまだクリアしてない。まずはそこをなんとかしなきゃいかんという、至極単純な感想です。

  • 「宗教を語る」2chは無視できない

一方、web2.0的な論調では「ブログ社会が成熟したアメリカ」と「2chで無責任な誹謗中傷を吐き出す日本」みたいな対比がよくされますが、実は2ch的な空間ではむしろ宗教はとても大きなウエイトを占めるネタでもあります。ブログでの不毛ぶりとは対照的に、2chでは宗教ネタは盛り上がってるですよー。んで、ご存知のように誹謗中傷罵詈雑言の嵐wwwwwでも2chをみるかぎり宗教は語られてるんですたしかに。「ネット上でのテキトーな意見」ってたぶん2chみたいな言説空間をイメージしてる部分もあるんじゃないかと思うんですが、その全部を肯定することはできないにせよ、2ch的な空間を無視してしまうというか、2ch的な空間では宗教を語れない/宗教を語るのにふさわしくないというのは非現実的な気が。というか2chで宗教「ネタ」が盛り上がってるんなら、それを宗教「エントリ」として熟成させていく作業が一方で必要と思うわけです。

  • 論調以前に技術的な問題として

ネット上で読まれるというのは、単純にgoogleで検索したときに上位に来るみたいなことでもあったりしますが、htmlで直接タグを書いていた頃のサイトに比べてブログやwikiが優れているのは、その「検索のされやすさ」みたいなことでもあります。だって今んところ人名でも固有名詞でもなんかググッてみたら、トップに来るのはwikiであったり大量にトラバされてるアルファブロガーのエントリであるわけで、そりゃgoogleは自動検索なんだからそういうことになる。だから「宗教を語るサイト」じゃなくて「宗教を語るブログ」や「宗教について解説したwiki」のほうが、より多くの人に読まれます。読まれるには技術的な工夫もいるよということでもあるし、私がwikiをもっと充実させたほうがいいというのはそういうことでもあります。

  • アメリカはとりあえずいいとして

たとえば、ブログが大統領選挙にも大きな影響を与える“ブログ社会”アメリカでは、宗教を語るブログは数多くあって、いわゆるメガ教会的な布教における有効な手段ともなっているようですが、さしあたり日本のブログ界隈というかはてな界隈は全くもって宗教不毛の地であり、なんでそういうことになってるんかいなということを考えるのは、日米のブログ文化の比較という意味においても大変興味深いところがあります。

そんななかで、現状でアメリカの宗教ブログが日本で紹介されるときには一種の偏向があるように見受けられるというのが、ちょっと気になるところでもあります。つまり、なんというか、トンデモ系に終始する傾向があるようにも思えます。つまり「アメリカ人の多くは進化論を信じていない」とか「アメリカでは政教分離が否定されてる」みたいなことがよく(まぁ否定的に)論じられてる。たとえばつい最近のだとこれ。いわゆる現代宗教の原理主義的傾向というのは大きな問題ではありますので、その重要性を否定するつもりはありませんが、もうちょっと多元主義的なエントリがあってもいいような気もします。

つまり、多様なアメリカの宗教ブログを紹介する日本のブログが全然多様ではないという(まぁどこにでもあるような)本末転倒が、なんというか結局日本のブログ社会における宗教の語られなさを象徴しているようなところもあって、まぁとにかく宗教がらみのエントリをもっと増やしましょうということで、よろしいと思います。