教師は風貌が何より大事ね

川喜田二郎さんが亡くなったのを先日新聞で知り、古きよき人類学のことなどについてネットで調べていたら、大塚和夫さんが四月に亡くなっていたことをイルコモンズのサイトで知る脳梗塞だそうだ。59歳とは。

大塚先生の授業はとっても分かりやすかったし優しかったけど、黒ぶち眼鏡&ヒゲもじゃという典型的な文化人類学者のその目の奥は、笑っていなかった。目が怖かった。学問においてあいまいとかそういうのはいかんと本気で考えていたように思える。まじめだ。だからイスラムが抱えるいろいろな問題やそれへの日本人の不勉強にとってもいらだっていたのかもしれない。今回の早すぎる死は戦死みたいなところがある。

先生はたびたび黒板にアラビア文字を板書された。右から左にすらすらと。それが「生きた」アラビア文字を見た最初であったがあまりにひょろひょろな文字で、これが文字なのかと驚いた。異なる世界とはこのようなものであるのかといたく痛感したことを覚えている。むろん授業の内容はよく覚えていない。
ファンダメンタリズムとは何か―世俗主義への挑戦

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ほかにも授業の内容は覚えていないが、授業の様子とか教師の風貌とか板書の文字の具合などはよく覚えていることが多い。永井均さんは常に斜めに傾いていた。永瀬唯さんはやっぱりいつもリュックがパンパンだった。兵藤裕己さんは「平家物語のことはボクもう全部分かっちゃったんだよ」という言葉を吐いた。博覧強記の学者とはこのようなものか。学問の世界はいずれにしても厳しい。

翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない

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琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)

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兵藤さんのはDVD付の岩波新書である。兵藤さんはこういう革新的なことをあまり細かいことは気にせず簡単にやってしまうのである。

そういえば今月号の『スタジオ・ボイス』は「本と旅する」という特集だったのだが、中村和恵さんがポストコロニアルなネタでいくつか書いておられた。三島由紀夫賞候補にもなった作家で詩人でエッセイストでバリバリの比較文学研究者の授業はすごくユルくて、というか映画とか南米の話とかケータイの話とかしかしてなかったと思う。ほんとにこんなんでいいんだろうかとこっちが不安になった。結構有名な作家で詩人だなんて教室の誰も(私も)知らなかったが、その後上梓されたエッセイがすごくて度胆を抜かれたのはよく覚えている。当時の英語の授業は中村さんと小野俊太郎さんのを受講していて、小野さんは横分け眼鏡で新聞エッセイの文法をフツーに解説していただけだったので、その後『モスラの精神史』が出てこちらも度胆を抜かれた。
あとから本を読んで「あぁもうちょっとちゃんと話しておけばよかった」と思う。真の教師とは、授業を終えたあとに本当の授業が始まるものである。

降ります―さよならオンナの宿題

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モスラの精神史 (講談社現代新書)

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