お盆の件

この時期になると「お盆ってどうお祀りすればいいんですか」という問い合わせが殺到するです。

とくに初盆のところは今までホトケさんがいなかったりしてそういう習慣がなく、周りから「初盆のお参りはいつ伺えいいですか」とか問い合わせが来てあわてて、、ということが多いみたい。

ポピュラーなのは提灯を仏壇の前や横に設置したり(画像参照のこと)、
盆提灯 秋沢ビニロン


きゅうりや茄子に割り箸なんかで足つけて馬と牛に見立てて供えたり、送り火や迎え火したりしますね。これは「ご先祖様の魂がお盆に帰ってくる」という考え方からやってるのね。提灯立てたり送り火迎え火するのは、帰ってくるのに魂が道に迷わない用の目印。牛や馬は魂のための乗り物、というかんじ。いちおうそういうのは詳しいよ。民俗学やってたし。

ただね、仏教的に超厳密にいえばご先祖様が帰ってくるなんてお釈迦様は云ってないし、ちゃんとしたお経にもそんなこと書いてないのよ。

だから一般的に言われてるお盆の行事ってのは、仏教ではなく日本に昔からあった魂があの世とこの世を行き来するという考え方と仏教が談合&合体&勝手な解釈を重ねた結果なのです。

もちろんそれが悪いといってないですよ。間違ってるとかそんなことはどうでもよくて、お盆のことをお坊さんが全部知ってるとか、お坊さんが言うことが必ず正しいとはいえないんだよと。いうことをですね。声を大にしていいたい。

それとね、お盆の習慣は各地方や各集落各寺院、はては各家で全然ちがうの。隣町で全然ちがったりするの。んでそれらいろんなバージョンは全部正しいし全部間違ってる。

それでいいと思うんだよね。すごーくアバウトなさ。多様性確保な感じで。云ってることがひとそれぞれバラバラでさ。「うちはこれでずっとやってきたんだ!何か文句あるか!」的な態度でさ。

ちなみにですね、お坊さんは死んでも初盆しません。お塔婆とかも死んでからもいっさい立てません(あくまでも臨済宗の話だけど)。

なんでかといえば、お坊さんはすでに悟ってるから。

この「何か文句ありますか!?」的な態度がたまりませんね。