「郊外」というモデルを鹿児島の片田舎にあてはめてみる

 たとえば大場正明さんの文章は、都市の周辺に発達したサバービアが、中産階級ユートピアなどではなく、むしろディストピアと化している現象を全世界的な比較によってわかりやすく教えてくれるが、ここで言われているモデルとしての「郊外」ってのを現代日本に援用するときには、いくつか留意しておかなければいけないこともある。

 ここでいうサバービアというのは、都市という中心とその周辺に形成された居住地としての郊外の関係性の上に成り立っているのだが、ここ鹿児島の片田舎にはそういった中心というものがない(通勤する場所としての、いわゆる大都市というのはここから車で1時間半以上の場所にしかない)。ここにはただただ「郊外」っぽい社会が、農村型社会と並存しつつ広がっている、としか形容できない。

 ここ鹿児島の片田舎で起きていることってのは(そしてそれは全国の地域社会で起こっていることでもあるのだが)、田畑がつぶされ、高度で均一的な消費のシステムがハード/ソフトの両面において浸透した結果もたらされたものである。あくまでも社会形態としては田舎の、農村型社会の形態を保っている。ここでの郊外化とはあくまでも消費という面に限られている*1

*1:新幹線や高速道路の開通によって鹿児島の片田舎はますます流動化している。しかし、それは社会全体の変化を促すほどのインパクトを持つにはいたっていないようだし、それに関して、わたしはまとまったアイデアを持ってないので。